あることを感じ、考えているうちにこんな言葉に出会った。
「共感的理解」
心理学的立場のセラピストに必要とされる態度のようだ。
心理学用語集によると
共感的理解とは、来談者中心療法のセラピストに必要な態度
のひとつである。クライエントの内的な主観的世界を、セラピスト
があたかも自分のものであるかのように感じ取り、しかも巻き込ま
れずに、「あたかも~のような」という性質を失わないこと。共感的
理解の治療的意味は、まずセラピストがクライエントを共感的に
理解し、そしてそれをクライエントに反映させることを通して、最終的に
クライエントが自分自身の理解に至ることを援助することにある。
とのことらしい。(原文まま)
なぜこんなことを考えたのか。。
自分が思うイイものと、
世代の若い人が思うイイものに、
その感覚に、
どうにも相容れない、違いみたいなものを感じてしまうからだ。
彼らがいいと感じるモノ。
それを、あまりいいものだとは思えなかったりする自分がいる。。
感覚の違いなのだから、
どちらが良い、悪いということは無い。。
そして、無理に良いと思う必要もない。
ただ、「彼らはそれが良いと感じる」という事実をそのまま受け入れるのみ。
相手の言いたがっていること、
わかってほしがっていること、訴えたがっていることを、
言いたがっているまま、わかって欲しがっているまま、
訴えたがっているままに理解する
共感的理解をそんなふうに説明している方もいた。
自分の思う「イイもの」を基準に
相手に対して「助言、アドバイス」という名のお節介をする必要もない。
理解するのではなく、
共感的理解という態度。
なかなか難しいことだと思うが、
各々が、こんな感覚を持っていれば、きっと何かが変わるんじゃないかな。。。
(こだわりは持ってるけど、間口は広く!)
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